洗礼者ヨハネ

マタイによる福音書 第3章1~12

2017年1月15日(日)
日本基督教団尾張一宮教会 聖日礼拝説教
矢部節牧師

 主イエス・キリストはわたしたちの救い主です。このことを指し示すために、この個所では、洗礼者ヨハネを伝えています。

 ヨハネは荒れ野に住んでいます。そこは、人里離れた所で、神と向き合うことのできる場所です。ヨハネは「毛衣を着て、腰に革帯を締めている」という風貌から、預言者エリヤの再来と考えられていました。ヨハネは、メシアの先触れとして、イザヤ書が告げた「荒野で叫ぶ者の声」であり、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝えました。彼のもとにユダヤ全土から多くの人が洗礼を受けに集まってきました。

 そこで、ヨハネは厳しい言葉を告げます。「蝮の子らよ。差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。」洗礼を受けて悔い改めたのであれば、神に立ち帰った者として、ふさわしい生き方をせよ。洗礼を受けるからと言って罪を犯し続けるようなら、神の民にふさわしくない。今や、神の裁きが下ろうとしている。アブラハムの子孫として神から祝福を受け継いでいると思っているかもしれないが、あなたがたが受け継がなくても、神はアブラハムの子孫を起こすことがおできになる。そうであれば、だれが救われるでしょう。

 ヨハネはわたしの後から来る方は、本当にわたしたちを救う力のある方だといいます。「その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼をお授けになる。」火による洗礼とは、主イエス・キリストの十字架によって、わたしたちの罪を焼き滅ぼして、清めてくださることを表します。主イエスの十字架が、決定的な救いとして一回限りのことであるように、主イエスの名による洗礼は一回限りのことです。

 わたしたちの洗礼は「父と子と聖霊の名による洗礼」であり、復活の主イエスが天に昇るときに弟子たちに命じた言葉に基づきます。わたしたちの洗礼は水による洗礼ですが、信仰告白が伴います。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』といえない」と言われているように、信じて告白することには聖霊が働いているからです。信じることと告白することが一緒になって、聖霊が働いていることのしるしとなります。

  ヨハネは悔い改めるように告げることで、わたしたちの罪の現実を際立たせました。罪によって神に立ち帰ることのできないわたしたちは、今や、主イエスの十字架と復活によって、神へと立ち帰ることができます。わたしたちはただ、このお方を救い主と信じて受け入れればよいのです。

そのために、主イエス・キリストは、わたしたちに聖霊と火によって洗礼を授けてくださいます。この洗礼によって、わたしたちは悔い改めにふさわしい実を結ぶものへと新しくされるのです 。