ユダヤ人の王としてお生まれになった方
マタイによる福音書 第2章1~12
2017年1月1日(日)
日本基督教団尾張一宮教会 聖日礼拝説教
矢部節牧師
新しい年をクリスマスの喜びの中で迎えます。
主イエスの誕生はヘロデの時代です。このヘロデはユダヤ人ではありませんが、その時代の権力者であるローマ皇帝に取り入ってユダヤの王となります。ヘロデは、十人の妻から生まれた息子たちの後継者争いに悩まされていて、身内さえも処刑していました。そこに不安を掻き立てる知らせが届きます。
東方から学者たちがユダヤ人の王としてお生まれになった方を拝みに来たのだと言います。彼らは、あらゆる学問に通じた、最高の知性の体現者でした。その国では、王が政治の判断に悩むときには、側近としてアドヴァイスもします。東方とは、文明の発祥地であるメソポタミアか、その東のペルシアと考えられます。遠路はるばるやって来たことに、何としてでも星の示すユダヤ人の王に会いたいという思いがあらわれています。
一方で、王は不安を抱き、メシアの生まれる場所を、祭司長たち、律法学者たちに問いただします。それは「ユダヤのベツレヘム」ダビデの町です。ヘロデは学者たちに星のあらわれた時刻を確認し見つけたら知らせるようにと、ベツレヘムに送り出します。すると、東方で見た星が先立って進み、幼子のいる場所に止まります。これは、神が導いたからです。学者たちは喜びにあふれます。彼らは、異邦人ですが、知識人であるので、ユダヤの預言者の言葉も知っていたことでしょう。特に、イザヤ書には、ユダヤ人の王として生まれるメシアが、すべての民を救う方でもあることが示されていました。
学者たちは家に入ってみると、幼子と母マリアがおられ、贈り物として、黄金、乳香、没薬をささげます。いずれも高価なものですが、それぞれに意味付けがなされてきました。黄金は、王としてのイエスを、乳香は、神としてのイエスを、没薬は人間としてのイエスをあらわすとか、信仰、愛、希望の象徴であるとか、特に、没薬は死体の処理に用いるので、主イエスの十字架と墓への埋葬を示すとも解釈もされました。ただ、どの意味付けがふさわしいかよりも、わたしたちが主イエスに何をささげるかが大切です。学者たちにとって贈り物は、自分たちの知識の象徴でもある宝物であったでしょう。しかかし、救い主であるこの幼子に出会えたことで、本当に価値あることがなにかを知り、すべてをささげてもなお足りないと思ったことでしょう。
主の天使が、学者たちに「ヘロデのところへ帰るな」と告げたので、彼らは別の道を通って自分たちの国に帰って行きます。別の道を通るのは、ヘロデと会わないためであるとともに、今まで価値あると思っていた者よりも優れた方に出会った喜びに新しい歩みを始めたことを示しているのではないかと思います。