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マタイによる福音書 第4章1~11

悪魔の誘惑

マタイによる福音書 第4章1~11

2017年1月29日(日)
日本基督教団尾張一宮教会 聖日礼拝説教
矢部節牧師

 主イエス・キリストは悪魔の誘惑に打ち勝たれる方です。悪魔はわたしたちを神から引き離し、罪へ引きずり込もうとします。そこに、神から救い主として遣わされたのが主イエスです。主イエスは、荒れ野で悪魔から誘惑を受けます。それは神の意志であり、主イエスが神の子でありながら、わたしたちと同じ人間となってわたしたちとともに歩むためでした。

 主イエスは、シナイ山でのモーセのように、四十日間、荒れ野で断食をしました。それは、神に祈るためであり、御言葉に生きるためでした。断食で空腹を覚えた主イエスに悪魔は、神の子なら、石をパンに変えたらどうだと誘惑します。確かに主イエスは神の子であり、後には、五つのパンと二匹の魚で多くの人の飢えを満たす奇跡を行われましたが、このときは、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と御言葉によって悪魔の誘惑を退けます。悪魔の誘惑は神の意志から主イエスを引き離すことにあるからです。

 そこで悪魔は、主イエスを神殿の屋根に連れて行き、そこから飛び降りたらどうだといいます。聖書に天使が支えてくれると書いてあると、聖書の言葉で誘惑します。聖書の言葉は神の言葉であるはずですが、まことの神をわたしたちの神として心を開いて聖書の言葉を受け入れるのでなければ、聖書の言葉も神の言葉にはなりません。神を自分の願いを実現するための神として、自分が主になるとき、神を道具とするように、聖書の言葉も、神の言葉ではなく、自分を正当化する言葉とするとき、悪魔の言葉となります。主イエスは、「あなたの神である主を試してはならない」とこの誘惑も退けます。

 そこで、悪魔は、主イエスを高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、わたしをひれ伏して拝むなら、これをみんな与えよう」と誘惑します。悪魔を拝めというのは、露骨すぎる表現ですが、この世界のすべてを与えるという誘惑は、あなたがこの世界の支配者である、つまり、自分が神となるということですそれは、わたしたちを神から引き離そうとする誘惑です。主イエスは言います。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」神から離れないようにとの御言葉です。

 悪魔はいったん離れますが、この後も、隙を狙っています。悪魔はわたしたちを神から引き離そうと誘惑します。しかし、悪魔に打つ勝たれた主イエスは、インマヌエル「神は我らと共に」と呼ばれる方として、わたしたちと共にいてわたしたちに先立って進まれ、試練の時に、わたしを神に立ち帰るようにと御言葉によって導いてくださいます。このお方がわたしたちのまことの救い主です。

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