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マタイによる福音書 第2章13~23

嘆き悲しみの中で

マタイによる福音書 第2章13~23

2017年1月8日(日)
日本基督教団尾張一宮教会 聖日礼拝説教
矢部節牧師

 主イエス・キリストの誕生が本当の喜びであるのは、苦しみや悲しみの現実のただなかに本当の救い主が来られたことを意味するからです。自らの力で成り上がったヘロデ王はその地位を維持するために、東方の学者たちがユダヤの王として拝みに来た幼子を殺そうとしました。しかし、主の天使が学者たちに「ヘロデのところへ帰るな」と告げ、また、ヨセフにも主イエスと母マリアを連れてエジプトに逃れるように告げ、主イエスは暗殺の手から守られます。

 一方で、ベツレヘム一帯では二歳以下の男の子が殺されて、大きな嘆き悲しみの声が上がります。このことは、モーセの誕生の出来事を思わせます。主イエスは第二のモーセ、いや、それ以上のお方であり、主イエスの十字架と復活が新しい出エジプトであることをほのめかしています。

 この悲しみは預言の実現とされます。エレミヤの言葉はバビロン捕囚の出来事を嘆いた言葉ですが、その嘆きが同じ地域の出来事として重ね合わされます。ラケルはベニヤミンの母であり、母の嘆きは主イエスが十字架につけられたときの母マリアの嘆きに重なります。主イエスの十字架はわたしたちの罪のためであり、ヘロデの姿は、わたしたちの罪の姿と重なります。

 わたしたちの心の中に嫌いな人や赦せない人がいないか。わたしたちには権力はないかもしれませんが、心の中では、恨み、ねたみ、怒り、殺意などを隠していないか。平和を願いつつも、異なる立場の人がいなくなればという思いがあることに気づかされます。主イエスは、心の中の敵意の壁を打ち砕き、罪から救い出すために来られたのです。

 ヘロデが死ぬと、主の天使がヨセフにイスラエルの地に帰るように告げます。しかし、ヘロデの後をアルケラオが次いでユダヤの支配者となったので、ユダヤから遠いガリラヤのナザレに住みます。

 ガリラヤは異邦人の地として知られていましたが、そこにもユダヤ人は住んでいました。ナザレという地名は旧約聖書には出てきませんが、福音書が書かれたときには主イエスはナザレ人として広く知られており、その音が似ている言葉として、神に献身した聖なる人であるナジル人、または、イザヤの「エッサイの株から」に始まる預言でメシアを表しているネーツェル(若枝)と結びつけて考えらたようです。

 これらのことが預言の言葉の実現であるといわれるのは、神の救いの一貫性を表し、イスラエルの歴史を通して準備されてきたからです。神はその導きの中で様々な敵から救い出してくださいましたが、決定的な救いは罪からの救いであり、このことが主イエスの誕生によって実現しました。救い主が乳飲み子という最も弱く小さい姿でこの世に来られたのは、わたしたちの罪が明らかにされるためであり、神が救いを実現されるからです。

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